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数式の無いドキュメントに LaTeX を使うことは意義があるのか

しばしば、LaTeX を使うことの意義として「数式があるから」が挙げられます。これは実際、LaTeX で数式を書くことで綺麗にレンダリングされるからです。TeX を開発した Knuth は数学者であり、数式に関する写植にはこだわったことでしょう。

かと言って「LaTeX は数式のためだけに利用されるのか」と言う疑問に単刀直入に答えるのであれば “No” です。LaTeX は数式を記述するためのみに利用されるべきツールではありません。

また、「MS Word で良いのでは?」と言う声(Twitter での声)も聞かれますが、数式以外にも LaTeX にはさまざまなメリットがあります。

本記事では、「LaTeX が数式のためだけにあるツールではないこと」や「MS Word には無い LaTeX のメリット」を紹介します。

MS Word でも数式ができる

そもそも MS Word でも数式を書くことが出来ます。マウス操作でポチポチする方法とキーボードによる LaTeX 入力の 2 通りがあります。

LaTeX 入力があるのは、LaTeX の歴史が長く、プレーンテキストで入力する方法として、ほぼデファクトスタンダードとなっているためです。

MS Word では数式が汚いと言われることもありましたが、これはフォントを変更することで大きく解消できます。New Computer Modern Math や STIX Two Math に変更すると良いでしょう。単純にデフォルトの Cambria Math が汚いと思われる原因の 1 つだったようです。

このことを踏まえれば、数式のためだけに LaTeX を使おうとはなり難いです。(実際は数式として表現できる幅が LaTeX に比べて狭いかもしれません)

数式以外の LaTeX を使うメリット

数式以外であっても MS Word にない LaTeX を使うメリットがさまざまあります。LaTeX が MS Word と比べてメリットとなる点は以下のようなものです。

  • テキストファイルである
    • Git によるバージョン管理が可能
  • 任意のテキストエディタを利用できる
  • 数式や図表の番号が自動採番される
  • 相互参照が容易
  • 目次や文献参照、用語集などの処理が自動的に作成・更新できる
  • コメントアウトができる
  • 単純なドキュメントからポスター、スライド資料など作成できる
  • テンプレートを使いまわすことが出来る
  • ドキュメント内部で他のプログラミング言語が利用できる

特に、MS Word ではドキュメントを作成する際には、フリーズしたりデータが消失すると言ったような事態が発生することがあります。一方、LaTeX はテキストファイルであるため、このような問題はほとんどまったく発生することがありません。

加えて、LaTeX における自動採番や相互参照、目次や文献参照、用語集などの処理は \label\ref のようなコマンドの形でパターン化されているため、覚えてしまえばそれほどの苦になりません。テキストエディタによっては、適切な補助を与えてくれるものもあります。

一方 MS Word でこれらを行うには、非自明なマウス操作を繰り返し行う必要があります。また、採番を更新するにも同じ操作を繰り返さなければならない可能性をはらんでいます。(プロの MS Word-er は簡単に操作できるのかもしれませんが)

このように、LaTeX には「数式のために利用する」以外の多くのメリットが挙げられ、これらを得たいがために LaTeX を利用している人は多いでしょう。


そうは言っても、デメリットや嫌煙される原因も数多く挙げられます。MS Word で十分だと主張する人にとっては既知の事項でしょう。

  • 環境構築が面倒
  • 学習コストが MS Word よりも高い
  • 一般企業では LaTeX は利用されないため、習得価値が見いだせない
    • アカデミアと趣味以外に利用されるシーンが極端に少ない
  • どの LaTeX を利用すれば良いか分からない
  • タイプセット時のエラー処理が面倒
    • 二分探索的に原因を探す必要がある
  • 即時プレビューができない
    • タイプセットに時間がかかる
  • フォント変更が面倒

特に、「学習コスト」に関しては MS Word よりも高いと思います。習熟にはそれなりの期間を要します。また、これは少なくない LaTeX に関する学習の他にも、周辺ツールを知っておく必要が出てくることも加味するべきでしょう。

周辺ツールとは具体的に次のようなものを指しています。

  • ビルドツール(latexmk、llmk、ClutTeX など)
  • フォーマッタ(latexindent)
  • Git(バージョン管理ツール)および GitHub
  • 文章校正ツール(textlint、Grammarly など)
    • and more...

これらは必須の学習項目ではありませんが、知っているとより便利で完成度の高いドキュメントを作成できます。(もちろん内容が第一ですが)

かたや MS Word では、ビルドツールやフォーマッタは不要であり、バージョン管理や文章校正は内蔵されているため、周辺ツールとして知っておく必要もなく利用することになります。(ただ、内蔵のバージョン管理はあまり強くないらしい)

LaTeX の強みは何か

数式以外でも LaTeX を使うことのメリットを紹介してきました。

これに加えて、LaTeX の強みに関しても言及しておきたいと思います。ただし、これらは LaTeX に限らずテキストファイルで作成できる(いわゆる WYSIWYM)ツール全般に言えることです。

LaTeX の強みは以下の 2 点でしょう。

  • 体裁と文章の分離
  • 長期的な編集

これらについてそれぞれ詳細に強みを確認しましょう。

体裁と文章の分離

MS Word は 見たままに編集することで欲しいものを得られるため、WYSIWYG (What You See Is What You Get) ツールと呼ばれます。このような WYSIWYG ツールは体裁と文章を分離することが出来ず、常に文章に手動で体裁を与える必要があります。(ホームタブのスタイルから指定する)

このため、体裁と文章を分離できない弊害として、体裁の調整に気が散ることも挙げられます。LaTeX は文章を作成しているときに体裁を強く気にする必要が無いため、文章に集中できると感じる人もいます。

LaTeX では、スタイルは文章内でコマンド (e.g. \chapter{目的}) によって指定します。人に依ってはこのような指定が面倒だと感じるようですが、このようにしておくことで特定のスタイルに変更し自動的に採番なども行います。

逆に、LaTeX で体裁を自分で調整しようと思うと、非常に面倒になる可能性があります。ここはデメリットになりがちです。しかし、テンプレートのままで良いとするならば、体裁には一切触れず文章のみに専念することが出来ます。

また、体裁の異なるテンプレートを与えられても、文書クラス等を変更するだけで対応できるようになります。

長期的な編集

長期的な編集とは、卒業論文のような約 1 年かかるようなドキュメントを作成することを指します。

先に挙げたメリットと対応させて考えると、以下の点が「長期的な編集」で重要に挙げられるでしょう。

この 2 点について個々を掘り下げてみたいと思います。


長期的な編集にバージョン管理は不可欠です。LaTeX はテキストファイルなので Git によるバージョン管理が可能です。これに加えて、GitHub 等の Git ホスティングサービスを利用するとバックアップも取れて良いです。

しばしば手動でバージョン管理された MS Word は、管理として以下のようなダメダメになっていることがあります。

.
├─ 卒論_完成版.docx
├─ 卒論_最終版.docx
└─ 卒論_修正版.docx

どれが最新のファイルか分からず、もはやネタにされています。やっている本人が分かっていれば良いのですが、往々にして分かってないこともあります。分かっていると思って分からなくなったときは最悪です。

Git によるバージョン管理は、このような状態を回避することが出来ます。

実際、LaTeX ドキュメントをバージョン管理をしていて、特定のバージョンに立ち返ることは少ないかもしれませんが、バックアップとして取ることは重要です。GitHub によるホスティングがバックアップの代替になるという面もあります。


LaTeX ではコメントアウトすることが出来ます。

コメントアウトとは一部の文章を結果 (PDF) に反映されない形でファイルに残すことのできる記法です。LaTeX では、% より右側の文章はコメントアウトになります。

コメントアウトの形で文章を残すことで次の点がメリットになります。1

  • 推敲した記録を残しやすい
  • 文章を差し替えしやすい

気に入った言い回しや指導教員に修正を指示された箇所、途中式など、単純に削除してしまうには惜しい部分はコメントアウトしておくことが出来ます。もしも後になって欲しくなった際は、すぐに取り戻すことができます。推敲する際のコメントアウトは非常に有用です。

また、TODO をファイル内に残すと言った手法もなされたりします。(参考

MS Word ではこのように修正前情報を残すことは出来ません。(PDF に反映されない形のコメントは存在します)

何を基準に使い分けるか

LaTeX と MS Word のメリット・デメリットを紹介しましたが、なんでも LaTeX で作ってしまえば良いというわけではありません。適材適所があります。では、LaTeX にとっての適所、MS Word にとっての適所はどこでしょうか。

本記事ではこの適材適所に関して、“How to Turn your Text into a Powerful LaTeX template.” の終盤にあるグラフを引用したいと思います。

このグラフは、縦軸に作成コスト (Effort)、横軸にドキュメントの複雑さ (Complexity of document) を取っています。

“複雑さ” はドキュメントの構成要素に対応し、本文、見出し、表紙の他に、図表、数式、文献、索引、またそれらの相互参照などがあります。

How to Turn your Text into a Powerful LaTeX template.

Comparison of Word and LaTeX depending on the complexity of the task: for natural sciences, anything more complex than articles takes more effort in Word; for social sciences, anything more complex than papers takes more effort in Word; for novels, book series takes more effort in Word than in LaTeX.

“Word” のグラフは理系文書 (natural science) と文系文書 (social science) の 2 つがありますが、いずれもある複雑さを超えると LaTeX よりも作成コストが高くなっています。

すなわち、ドキュメントが複雑になればどこかで必要な作成コストが逆転する ことを示唆しています。

このことを踏まえると、執筆者はどの程度の複雑さを持ったドキュメントを作成するかを考えた上で、適切なツールを選択すべきだと考えられます。


ドキュメントの複雑さやそれに対する適切なツールに関して、定量的な評価方法はありません。個人の経験に裏打ちされた判断に委ねられます。

ともすれば、非常に簡単な手紙であっても LaTeX で作成する人もいれば、相互参照などがある複雑なドキュメントを MS Word で作成する人もいるでしょう。

また、複雑なドキュメントであっても、適切な補助ツールを用いることでその作成に対する作成コストを減らすことが出来る可能性があります。MS Word ではアドインから、LaTeX ではパッケージやテキストエディタから補助を得ることが出来ます。

もしも複雑なドキュメントであっても「この補助ツールを使えば簡単に実現できるゾ!」と知っている方がいれば、ぜひ記事にまとめてください。あまり知られていないツールを紹介する記事であれば、非常に有用な情報源になる可能性があります。

MS Word では難しいこと

LaTeX だと比較的簡単なのに、MS Word では簡単でなさそうなことがいくつかあります。簡単でなければ、LaTeX を使わざるを得ないということになるでしょう。

私が思いつく MS Word では難しいことは以下の点です。

  • 数式・図表の番号付け、番号の更新
  • 相互参照・文献参照
  • 用語集
  • ソースコードの挿入(行番号やページまたぎを含む)
  • ページをまたぐような文章囲み枠
  • 多言語処理

「これは簡単に出来るゾ!」と思う方は、ぜひ記事にまとめてください。私は作成方法を知りません。

この辺りの方法がクリアになると、LaTeX ユーザを MS Word に引き込める可能性があると思います。

LaTeX だけが選択肢ではない

LaTeX でなくても、テキストファイルによる文書作成が実現可能です。例えば以下のようなツールが挙げられます。(† のあるツールは日本人コミュニティで開発されています)

最終的に LaTeX を経由して PDF を生成するものもありますが、これらは LaTeX よりも記法が簡略であったり他の言語を標準で含めることのできるものがあります。

また、SATySFi や Typst は LaTeX に依存しないツールであり、LaTeX の対抗馬ともなりうるツールです。

しかしながら実際、LaTeX は歴史的にも長く存在しているため多くの資産があり、テンプレートも LaTeX でのみ展開されていることが少なくありません。1 からこれらを作成しなければならない可能性があることは否定できません。

まとめ

自分の使わないツールを貶さず、自分の経験値とドキュメントの複雑さに合った適切なツールを使いましょう。LaTeX は理系のみに門戸が開かれたツールではありません。

卒論などで特定のツールが指定されている場合はしょうがありません。しかしながら、特定のツールが指定されている理由は、その分野にとって適切であることやテンプレート等の資産があることなど、それなりの理由・経緯があるものだろうと推察されます。諦めましょう。(単純に研究室のボスがそのツールしか使えないとかもあるみたいですね)

しばしば、MS Word のコメント機能で添削する方が楽だとする人もいるらしいですが、PDF の注釈あるいは直書きした方が良いのではないかと思います。これであれば LaTeX でも問題なく PDF で添削できます。


今回、メリット・デメリットとして比較した項目以外にも、以下のような項目に関しても注目すると面白いかもしれません。

  • 情報収集のしやすさ
  • 挿入できる画像形式
  • ファイル分割
  • 共同編集
  • OS 毎の出力結果
  • 拡張性

  1. このような修正前の情報をコメントアウトで残す手法は、Git などを使ってバージョン管理をする場合には悪手とされています。これは単に無意味になるリソースが割かれることや第三者が見て目的が不明瞭になるためです。ただ、自分が分かっていればリソースが少々割かれていても問題があるとは思いません。